ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十八「召喚の時」





「おはようございます、姫様。
 もう朝ですよ」
「おはおう、あいりーん……」
 お城の起床は八時前、食事に間に合うよう優しく起こされてわたしの朝は始まる。
 もぞもぞと毛布から抜け出すと、メイドのアイリーンに抱き上げられて立たされ、着替えさせられるのもいつものことだ。
「さあ、出来上がりでございます」
「ありがとー」
 手を引かれてゆっくり廊下の端まで歩くと、階段では抱き上げられる。
 大人サイズの階段は、まだちょっと危ないのよ……。



 どうもわたしは、そこそこいいところのお嬢さまから、本物の『お姫様』とやらになったらしい。
 あの一見のんき者のお父様は時々とんでもないことをやらかすと、わたしは既に知っている。
 キュルケ姉さんの居候どころか、親友クロードさんの友達呼んだら原作組をぴたりと引き当ててくるし。
 タバサ姉さんどころか、そのお母様まで引っ張ってきたし。……病気も『何故か』治ってるし。

 王様?
 今更驚いてなんか、あげない。

 そう、お父様は去年、王様になった。
 故にお母様が王妃様で、私がお姫様。
 ……うん、どこも間違っていないと思う。

 セルフィーユは侯爵様になったお父様がそのまま国を建てて独立するらしいとは聞いていたけれど、わたしの分までティアラが用意されるとは……。
 それに動じていないお母様は大したもの。だけどわたしは、お父様の真似をしてため息をついた。将来、絶対に窮屈度が上がるに決まっている。
 ……まあでも、そんなのはわたしが我慢すればいいだけの話で、問題はそこじゃない。
 これからどうするかが、問題なのだ。



 一階の廊下で再び降ろされて、とてとてと歩く。
 食堂の扉の向こうでは、お父様、お母様、それにタバサ姉さんのお母上クリスティーヌさまが食後のお茶を手にされている。
「マリー、おはよう!」
「おはよう、マリー」
「おはようございます、姫様」
「おはおうございます」
 ……わざとではない。
 起き抜けは思ったように口が動いてくれないので、どうしても舌足らずになってしまうのだ。かなりましになってきたけれど、自分のフルネームさえ口にするのは難しい。手足と同じくある種の慣れが必要なのだろうと、わたしは勝手な想像を巡らせている。
「あう」
 お父様のところまで走ろうとして、わたしは見事に転んでしまった。
「おっと……」
 ずべたーんと俯せになったまま、ふわりと持ち上げられる。
 この魔法は、たぶんお父様。
「痛いところはない?」
「……はい」
 わたしの身長よりも長い鉄の剣みたいな杖が振られると、そのまま空中を運ばれて膝上に抱き上げられる。
「マリーは転び方が上手くなってきたね」
「そうですわね」 
 子供は転ぶものだからとは、そのお父様の言葉だ。
 転ぶことが先にわかっているならと、寝室とは別にあるわたしの部屋は絨毯の上に毛布が敷き詰められ、その中では走り回っても怒られないし、転んでも怪我をしない。……でも、いくらお城が広くたって、あれは部屋の無駄遣いなんじゃないだろうかとわたしは思っている。たのしいけどねー。
「マリーも大きくなったなあ……」
「とうさま?」
「先月計ったときは、もう八十五サントもあったのよ」
「すぐにシャルロットに追いついてしまうかしら?」
「だったら嬉しいですねえ」
「陛下、王妃陛下、大公妃殿下、ご歓談中のところ申し訳ありませんが……」
「あ、もうそんな時間か……」
「マリー、いらっしゃい」
「お気をつけていってらっしゃいまし」
「ありがとうございます、クリスティーヌ様」
「いってきまーす」
 今度はお母様の細い杖が振られ、空中をふわふわ。
 空港まではアーシャで一飛び、これからお母様と二人キュルケ姉さんのお誘いで魔法学院にお出かけするのだ。

 空港も前よりフネが増えたけど、人もずいぶん増えていた。
「気を付けて……という程でもないけど、クロードやルイズたちにもよろしく」
「ええ、行って参ります」
「いってきまーす!」
 心配そうなお父様はともかく、何故か艦長さんまでお見送りをしている。
 二人ともいつも忙しいし誰も気にしていないので、これでいいんだろう。
「さ、中に入りましょう」
「はーい」
 このドラゴンなんとかという軍艦には、豪華客船のようなサロンが用意されている。普段はお父様が移動に使うけれど、時々乗せて貰える機会もあって、わたしはそれを楽しみにしていた。
「かあさま」
「なあに?」
「かあさまもつかいまさん、よぶの?」
「喚ばないわ」
「そうなの?」
「だって、お父様がいないわ」
 それもそうだと、わたしはこくりと頷いた。
 好きな人の見守ってくれているときの方が、いいんだろうなあ。
 それに予告無しに使い魔を連れて帰ったら、いくらお父様でもびっくりすると思う。
 ……夫婦の会話から察するに、お父様並かそれ以上の使い手らしいお母様、下手しなくても夫婦揃ってドラゴンってこともあり得そうだ。
「マリーは大きくなったら、どんな使い魔さんと出会うのかしらね?
 プチみたいなネコさん? それともアーシャみたいなドラゴン?」
「んー……。
 わかんないの」
「……ふふ、そうよね」
 アーシャはおっきいけどかわいいし、プチみたいに一緒にお昼寝できる子もいい。
 人間は……ちょっと困るけどね。

 水兵さんの邪魔をしてはいけないし、お母様は準備の疲れが出たのかお昼寝に入ってしまったので、わたしはサロンの窓から景色を楽しみながらあれこれと考えに耽っていた。
 わたしの推測……ううん、知っていることが間違いなければ、たぶん明日、『物語』がはじまる。
 その後、戦争になるんだろうなあ、ということまでは知っていた。メイドさん達もそんな話をしていたし、新しく来た人はそのアルビオンからセルフィーユに逃げてきていた。
 『物語』の主軸がルイズおばさまだということも、たぶん間違いない。
 でもその他がうろ覚え過ぎて、どうしようもないのだ。
 なんとなく思い出せるキーワードはあっても、それが果たして正解なのかと言えば、実は疑問が残る。
 それだけじゃない。『ちいねえさま』ことお母様はわたしを産んでいないはずだし、もっと病弱だったはずで……。
 はずはずはず、あっちもこっちもはずばっかりで、戦争が起きそうなことや、ルイズおばさまが『虚無』という凄い魔法を使えることは知っていても、そこまでだった。ギーシュさんたちのことも、顔を見るまで忘れてたぐらいだ。
 あとは裏切り者がいたなあとか、戦争が起きるなあとか、ゼロ戦が飛んでたなあとか、なあなあ尽くしでやっぱり手の出しようがない。
 アニメは大幅な改変でレモンちゃんかわいいにステータスを全振りしていたと言うし、そもそも刊行中だった原作の結末は、わたしでなくとも知らないだろう。

 下手な手出しは出来ないし、しようにも今のわたしでは無理がありすぎる。お父様やお母様を困らせたいわけじゃないし、未来を知っているからとその通りになる確証もない。いきなりそんなことを口にしては虚言癖に見えるだろうし、わたしがおかしな子に思われても困る。
 じゃあ、何もできないのかと言えば、そうじゃないこともわかって……ううん、学んでいた。

 階段が一段づつしか降りられなくても。
 すこし走るだけで大の字になって転んでしまっても。
 お喋りは出来るようになったけど、今ひとつ呂律が回らなくても。

 二歳児には二歳児なりのやり方があると、わたしは『マリー』になってから知ったのだ。



 王都のお屋敷で一泊して、翌日もう一度フネに乗って魔法学院に到着。
 お忍びでも、王妃様とお姫様は大変だ。お昼の食事時に、生徒と先生の全員に紹介されてしまった。おかげでルイズおばさま達には挨拶できずじまいで、ちょっと残念。
 前にも会ったコルベール先生は遠目に見ただけだったけど、お髭のオスマン学院長はえっちっちぃのちーで、美人秘書ロングビルさんはなんか大泥棒さんなんだっけ……とか、ここがあの魔法学院なんだと実感する。
 ほんとは厨房の中まで入ってみたかったんだけど、抜け出す隙もきっかけもなくて断念。シエスタさんにも会ってみたかったんだけどねー。
 ……と思っていたら、なんとお母様はシエスタさんを名指しで呼んだ。お父様から、シエスタさんとマルトー料理長に宛てた手紙を預かっていた様子。
 話を聞いていると、シエスタさんの弟はうちの空海軍で働いているそうで、『魅惑の妖精』亭つながりで知り合ったみたい。ここでもやっぱりやらかしていたか、お父様……。
「さあどうぞ、こちらでございます」
 お城と同じぐらい美味しいお昼の後、ロングビルさんのご案内でフネが停泊している場所から少し離れた草原に移動する。なんとなく手を伸ばしてみたら、ロングビルさんは手を繋いでくれた。確か泥棒も孤児を育てるためにやってたんだっけ、やっぱりやさしい人だ。
「さあ、こちらでございます」
「ありがとー!」
 ルイズおばさま達は授業だから、もう先に到着していた。
 割と大きな人集りになっている。
「きゅいー」
「アーシャ!」
 広場では、アーシャや水兵さんたちが、わたしとお母様の見学場所を確保してくれていた。椅子まで用意されていて、これがほんとの特等席だ。
 コルベール先生の長い説明の最中、ルイズおばさまがこっちを見てくれたので、手を振ってがんばれと心の中で応援する。おばさまも笑顔を返してくれたから、大丈夫かな?
「さあマリー、はじまるわよ。
 たのしみね?」
「うん!」
 わたしはお母様の言葉に大きく頷いた。
 今日のこの日に思うことは色々とあるけれど、それを吹き飛ばす程楽しみな瞬間がいまから始まるのだ。

 最初の男子生徒はイタチ、次の女生徒はカラフルな小鳥と、次々に使い魔が召喚され、草原には歓声が上がっていた。
 召喚の儀式はコルベール先生が生徒を順番に呼んで、その彼か彼女が呪文を唱えて召喚の鏡を呼びだし、使い魔が出てきたら契約をして終了というシンプルな図式の繰り返しである。
 それでも次に何が出てくるのか、わくわくしながらわたしは見守っていた。
 一世一代の大きな儀式、喚ぶ方も真剣だし、見ているこちらにも力が入る。
 ギーシュさんは大きなモグラ、モンモランシーさんはカエル、クロードさんはカワウソ、マリコルヌさんはフクロウ。
 もちろん、お願いして撫でさせて貰った。
「どうです、僕のヴェルダンデは!」
「もふもふー!」
「きゅ」
 特にギーシュさんの召喚したヴェルダンデ、おっきいぬいぐるみみたいで最高だったよ。

 一際大きな歓声が上がったのは、レイナールさん、キュルケ姉さん、タバサ姉さんの召喚時。
 レイナールさんは、火狐の子供を呼びだしていた。色はオレンジでしっぽはふかふかの、これまた可愛い使い魔だ。コーンと鳴いて口から火を吐いたのはちょっとびっくりだけど、拍手したら手を舐めてくれた。
 キュルケ姉さんはサラマンダー。しっぽ燃えてる。息も燃えてる。でもこの子も大人しくて、撫でさせて貰えたよ。
 もちろん、極めつけはタバサ姉さん。
「きゅいー!」
 この子だけは、わたしもなんとなく覚えてた。
 インリュウ……韻竜、だっけ?
 よく喋ってよく食べる青いドラゴンで、魔法も使えてナイスバディーのお姉さんにも変身できる伝説級の使い魔ちゃん。アーシャよりは一回り以上小さいけど、それでも部屋には入りきらない大きさだ。
 でも、ここで予想外の問題が発生した。
「きゅいー!
 きゅるる?」
「きゅい」
「きゅきゅ、きゅー!!」
「きゅ」
 なんだか喚んだタバサ姉さんより、うちのお父様のアーシャに懐いてる。
 代わりにわたしがタバサ姉さんに抱っこされてるけど……うん、なんか違う。
 同じドラゴンだからって理由ならいいんだけど、ほんの少しだけ嫌な想像をしてしまった。なにせあのお父様のことだ、アーシャが韻竜でももう驚かないよ……。

 そしてそして、ついにやってきた、肝心のルイズおばさまの番。
「宇宙の果てのどこかにいる私のしもべよ、神聖で美しく、そして強力な使い魔よ……」
 案の定、大きな爆発が起きた。
 けれどわたしは、小さく安堵の溜息をついた。
 喚ばれたのは、黒髪で青いパーカーを着たおばさまと同い年ぐらいの男の子。あれは間違いなく、サイト……じゃなくて、サイト『さん』だろう。
 もちろん、人間を召喚したなど前代未聞とのことで、周囲は大騒ぎになった。
「まあ……!」
「かあさま?」
「あの男の子、雰囲気がちょっとだけリシャールに似てるわ。
 姉妹だと好みまで似るのかしらね」
 その騒ぎの中、ひとり笑顔で嬉しそうなお母様は流石です。ごちそうさまでした。



 サイトさん、無事召喚。
 ……わたしはこれまでにお父様お母様をはじめ、色々な人と関わりを持っている。もう、物語のキャラクターなんて思えと言われても無理だった。
 これも生まれ変わってから学んだことの一つ。

 わたしにできること。
 難しいことは考えず、要は『ふつー』にしていればいいんだと思いつくのに、二年もかかった。元大学生なんて言っても、所詮は子供だ。更に今は、身体まで子供なわけで……。
 だからルイズはルイズじゃなくて、ルイズ『おばさま』。
 サイトさんもメイドさんたちもほんとは『さん』付けで呼びたいけれど、お姫様が平民に対して敬称をつけて呼ぶのはちょっと問題らしく、お母様にさえやんわりと言葉遣いを注意されてしまった。みんなが困るんじゃしかたない。

 手間を掛けさせたらありがとう、間違ったことをしたらごめんなさい。
 二十歳前の女子大生よりもずっと無力な二歳半の子供には、それしかできない。
 しかしながらそれは、とてもとても大切なことなのだ。

 

「あんた、ちゃんと跪きなさいよ! そんなこともわからないの!?
 この方は私のお姉さまだけど、隣国の王妃陛下でもあらせられるのよ」
「痛ぇって!
 耳引っ張んな!」
 すったもんだの末に契約の儀式も無事に終わって、ルイズおばさまが連れてきた男の子は、渋々という表情でわたしとお母様の前に跪いた。
 へえ、この人がサイトさんかと、わたしは彼の方を見た。
 サイトさんは、驚いた顔でお母様の方を見ている。……その視線の先を追い、そう言えばこの人はおっぱい大好きなんだったっけと、心の底からどうでもいいことを思い出してしまった。気持ちは分かるけど分からないと言うか何というか、サイトさんの中ではおっぱい>異世界の不等式が成り立っているんだろうか?
「うわ、すっげえ美人……」
「こ、こ、ここここのバカチンがー!」
「あで!
 ぐへ!?
 ちょ……ギブ! ギブ!」
「……おー」
「あらあら、仲良しさんなのね」
「ちちち違います!
 これは躾ですわ、躾!!」
 挨拶はどこかへ行ってしまい、すぐにプロレスがはじまってしまう。ハイキックからの見事な絞め技が、男の子の首を完全にキメてしまった。
 『知っている』わたしでさえ最初はこんなに仲悪かったかなと思ったけれど、お母様には喧嘩するほど仲がいいというあれに見えたみたいだ。……するどいなあ、流石はお母様だ。
「ちょっとルイズ、ほんとに首が締まってるわ!?
 召喚初日に使い魔絞め殺したなんて、それこそ前代未聞の恥になっちゃうわよ!」
「生き物は息が出来ないと死ぬ。
 ……死んだ使い魔の埋葬は、主人の責務」
 キュルケ姉さん達が止めに入ってくれて、何とかその場は収まったよ……。

 場の空気を入れ換えて、しばらく。
「わたしの使い魔、えーっと……あんた、名前は!」
「才人だ。平賀才人。
 えーと、こっちだとサイト・ヒラガになるのかな?
 名前がサイトで、苗字がヒラガ」
「家名あるって……」
「……貴族なの?」
「貴族?」
 ナントカ王子来日とかテレビでやってたし、外国ならいるのかなと首を捻っているサイトさん。神経が太いなあと心の中で感心する。……と思ったら、家に帰してくれと騒ぎ出した。ある意味当たり前のことで、当事者でないわたしも少し心配になる。
 わたしはもう、なるようになれと思っているけれど、それまでには多少葛藤もあったし、いきなり連れてこられて何の心配をするなというのも酷だ。第一、こちらに生まれ変わった時のわたしよりもサイトさんは年下なわけで……。
「マリー?」
「姫様!?」
 わたしは椅子から降りて、口喧嘩なのか泣き落としなのか、すでにぐだぐだになっているルイズおばさまとサイトさんの間に入っていった。
「マリー、どうしたの?」
「えーっと、お姫様?」
 なんでという顔の二人に笑顔を向け、二人の手をそれぞれに握って無理矢理握手させる。
「なかなおり!」
 しばらく空気が固まってしまったが、やがて、ルイズおばさまは小さく溜息をつき、サイトさんは空いた手でやれやれと頭を掻いた。
「ふふ、これはマリーの勝ちかしら?
 あなたたちもこちらにいらっしゃい、お茶にしましょ。
 フェリシテ、ちょっと人数が多いけど、お願いね」
「畏まりました」
「おお、気付かなかったけどスゲエ!
 流石ファンタジー、帆船が浮いてる!!」
「あんたは大人しくしてなさい」
 お茶でもいかがとのお母様の一声でゆっくり歩いてフネに戻れば、もうお茶会の準備が半分以上整っていた。
 ルイズおばさまやサイトさんの他にも、キュルケ姉さんたちや、案内の労いを兼ねて呼ばれた……というかわたしが手を繋いでいたため成り行きで引き込まれたロングビルさんまでと人数が多いので、流石に完璧とは行かなかった。
 別の船室から大きなテーブルを運んできた頭がつんつるりんの水兵さんは、杖を片手に余裕綽々の表情で汗一つかいていない。このへんが魔法のすごいところだと思う。ありがとーと言って手を振ると、笑顔と敬礼が返ってきた。おじさんかと思っていたけど、意外と若いのかも?
 でもその後がちょっと戴けない。
 水兵さんの視線がぴたっと固まり、驚いた表情になる。その先を追うと、ロングビルさんがいた。
 一目惚れとか、そういうのじゃない……と思う。
 あれは思わぬところで思わぬ知り合いに会った時の驚き方だろう。
 たしかロングビルさんは、名前を忘れたけど貴族のお嬢さまの生まれで……と言うことは、その時の知り合いか何かかもしれない。……じゃあ、アルビオンかな? アルビオンが戦争になってからセルフィーユにたくさんの水兵さんがやってきたのは、わたしも知っている。
 だから大人しく、ロングビルさんの膝の上で成り行きを見守っていたのだけれど……。
 フェリシテの手伝いでもう一度椅子を運んできたつるつる頭の水兵さんは、不自然に見えないようこちらにやってきて、小声でとんでもないことを口にした。
「……マチルダ嬢」
「!?」
「……私の従妹は元気か?」
「……あんた、なんで!?
 あ、ああ、元気さ。元気だよ」
「そうか、ならいい……」
「……」
 心の準備をしていなかったら、口から何かを吹き出すところだった。
 『私』の『従妹』!?
 ロングビルさんことマチルダさんの事情を知っていてそんな台詞言えるひと、一人しか知らない。
 ……なんで王子様、ここにいるの!?
 今頃は空の上のお城で戦ってるか、空賊のお頭やってるはずじゃ……。
 ついでにその頭はどうしたの? お姫様泣くよ!?
「どうかされましたか、姫様?」
「……んあー。
 だ、だいじょうぶなの」
 わたしはその時、相当に間抜けな顔をしていたに違いない。
 あー、うん、見なかったことにしよう。
 心配そうなフェリシテとロングビルさんに、なんでもないよーと笑顔を向ける。わたしには、皆の注目が逸れてから大きく溜息をついて心を誤魔化すことしか出来なかった。



 お茶会終了後、ロングビルさんやサイトさんたちにもいつか遊びに来てねと約束して、わたしとお母様を乗せた船は魔法学院を後にした。
 わたしは少々どころではなく疲れていたので、お母様に抱かれてお昼寝モードだ。『子供の体力バッテリーは充電こそ速いが容量も小さい』などと、まことしやかに言われていた比喩を思い出す。あの小話は真理を突いていると、現在正に体感していた。

 うつらうつらしながら今日のことを思い返し、わたしはきちんと過ごせただろうかと、また振り返る。

 ……手間を掛けさせたらありがとう、間違ったことをしたらごめんなさい。

 わたしも相手も、人同士。
 現実か物語か異世界かは、大事なことじゃない。
 でも……二年掛けてつかみとった答えは、限りなく正解に近いとわたしは思う。

 そして、少しづつでもいいから繋がっていった人の『輪』が、人の『和』になっていけばいい。

 無理なこともあるだろう。
 誤解を生むこともあるかも知れない。
 後悔だって、きっとする。

 でもそれがわたし、マリー・ブランシュ・ド・セルフィーユの選んだ選択肢なのだ。





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