ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第五十八話「『土くれ』と嘆願」




 残念ながら代わりの品もなくデルフリンガーの手入れは後日とルイズとサイトを学園まで送り届け、またの再会を約して帰国した数日後。
 リシャールの執務室では、『カドー・ジェネルー』のシャミナード艦長が定例の報告とは別にトリスタニアで聞き入れた噂話を披露していた。
「怪盗フーケ?
 知らない名ですね……」
「昨今、貴族ばかりを狙う盗賊『土くれ』として、トリステインの貴族層では多少名が上がっていた様子です。
 それが魔法学院に潜り込んでいたそうで、『破壊の杖』なる秘宝を盗んだはいいが、翌日大捕物の末に逮捕されたとか」
 どうぞと勧められた折り目がいっぱいの新聞を広げれば、巨大なゴーレムと戦う騎士の絵が載っている。リシャールが二人を送っていった直後、学院が襲われたようだ。
 そんな秘宝が何故学院にあったのかはともかく、学院その物は建物と宝物庫が少し壊れたぐらいで、怪我人などは居ない様子にリシャールは胸を撫で下ろした。
 神聖アルビオンのことだけでも持て余し気味なのに怪盗とは、トリステインも落ち着かない様子である。
「それにしても、『破壊の杖』?」
「なんでもワイバーンを一撃で仕留めるほど強力な魔法具だとか」
「へえ……。
 怪盗よりもそちらに興味が惹かれますね」
「数が揃うなら、こちらにも欲しいところですな」
 公文書や私信などの入ったいつもの書類鞄を受け取り、シャミナードを労って送り出す。
 中身もいつも通りかと思いきや、ルイズ、キュルケ、タバサと、リシャール宛の手紙が三通、カトレア宛ならともかく、これは珍しい。そこにオスマン学院長からの手紙も同梱されているあたり、フーケ絡みかなと首を傾げながら封を切っていく。
「何やってんの、あの子たちは……」
 怪盗フーケは、義妹ルイズとでっかい妹キュルケ、ちっこい妹タバサに剣士であるサイトの四人で捕らえたらしい。三通に加えてオスマン学院長の説明まで添えられていては、リシャールも事実と受け止めるしかなかった。新聞の騎士の絵は、どうも情報がどこかで歪んでしまった結果のようである。
 あまり危ないことはして欲しくないのだが、やってしまったものは仕方がない。
 それでもトライアングル二人にギーシュを下すほどの剣士が一群になれば、並大抵の怪盗ではこうもなるかと一人頷く。ルイズも失敗魔法の爆発を効果として意識するようになってきていたから、最近は『杖弾き』なる技も編み出したらしいし、如何に大怪盗でも荷が勝ちすぎたか。
 しかし、その捕らえられた『土くれ』の正体が、カトレアらの学院訪問時にマリーが懐いていたミス・ロングビルなるオスマン学院長の秘書であったと知り、リシャールはずいぶん複雑な心境であった。

 だから帰城時には、少しばかり覚悟していたのだが……。
「とうさま、たすけて!」
「えーっと……」
 もちろん、怪盗フーケ逮捕の顛末とその正体は、カトレア宛の私信を通じてマリーの耳にも入っていた。
「しんじゃだめなの!」
「……」
 カトレアから『もうミス・ロングビルには会えない』と聞いただろうマリーが、悲しむか落ち込むかするのではないかと、思ってもいた。
 しかし彼女は、精一杯気張った顔で自らの主張をリシャールへと示している。
 カトレアはリシャールに経緯を説明したあと、娘の手を握ったまま静かに成り行きを見守っていた。反抗期はまだ早いにしても、ここぞと言うときこそお父様の威厳を見せないとだめよ……とのことらしい。

 ルイズ達には手柄で、トリステインには世を騒がせる怪盗が捕まったのだから『いいこと』で間違いはなかった。新聞の紙面を飾るほどの盗賊だ、縛り首か斬首か火炙りかはわからないが、死罪以外の沙汰が下る筈もない。
 しかしマリーにとってどうだろうかと言えば、リシャールの考えるところ、生老病死との出会いは必ずあるにしても、人の死を知るにはまだ早い歳だった。二歳半の人生では、避けられるなら避けるべきと思うに十分である。
 セルフィーユも直接の戦死者こそ出していないが、それ以外の理由……老衰や重病で死ぬ者はやはり居た。リシャールも葬儀に直接参加することは少なかったが、アルビオン王立空軍は軍葬と同時に軍人墓地を新設せねば対応できないほどの死を運んできていたし、知り合いならば日をずらして花ぐらいは献じていた。
 だからと他国で悪事を働いた者に対して安易な助命嘆願をするなど、法の守護者などという異名まで捧げられる王という立場の自分がしてはならず、またマザリーニやアンリエッタに無理を押し通すにしても、それなりの理由が立たねば単なる癒着や甘えと見なされ、あるいは娘の我が侭に負けて法と倫理をねじ曲げた阿呆な国王というレッテルの元、実害の伴った後悔と劣等感を抱え込むことになるだろう。
 だが、そのことを未だ二歳半の娘にどう伝えていいものか、リシャールは途方に暮れた。

「おねがい、とうさま……」
「あのね、マリー。
 ……よく聞いてね」
 リシャールはマリーを受け取って、膝の上に乗せた。
 不安そうにじっとこちらを見ているのは、自分の緊張が伝わったせいだろうか……。
「ミス・ロングビルは、『悪いこと』をしたから捕まった。
 これはわかるかな?」
「……はい」
「じゃあ、悪いことをしたら、怒られることはわかる?」
「……はい。
 でも、でもね、たすけてほしいの」
「あー……」
「失礼いたします、リシャール様」
 扉が叩かれ、入室を乞うジャン・マルクの声が聞こえてきた。
 控えていたフェリシテに頷き、扉を開けさせる。無論、近衛の隊長たる彼には誰何無くリシャールの私室へと自由に出入りする権限を与えてあるが、火急の際以外はこの様な仕儀となった。
「ラ・ラメー長官より伝令、至急との事であります」
「ご苦労様です」
 ちょっと待ってねとマリーをカトレアに預け、リシャールは小さく折られた紙片を受け取った。
「……ん!?」
 紙片には、『怪盗フーケ助命、方法は問わない。頼む。A』とだけ書かれてある。トリスタニアの噂話など、『カドー・ジェネルー』が帰ってくるたびに広げて回るのだから、A……アンソンことウェールズの耳に届いてもおかしくはない。
 フーケとやらはどれだけ大人気なんだと、リシャールは天井を見上げて大きなため息をついた。
 だが、ウェールズが方法は問わないとまで書いたということは、フーケとウェールズ、あるいはフーケとアルビオンとの間に何らかの関係があると言うことに他ならない。彼は『ドラゴン・デュ・テーレ』で魔法学院にも足を向けているから、ミス・ロングビルと名乗っていた彼女に会っていた可能性は高かった。
 理由まで書かれていない紙片からは、時間がなかったのかそれとも説明不用と信頼されているのかまではわからないが、緊急時以外は連絡さえ取り合わないという約束を思い出すならば、彼にとってはまさに緊急事態ということなのだろう。
 マリーのお願いなら聞けなくて、ウェールズの嘆願なら聞けるのという訳もないが、政治的な意味を多々含む可能性さえ否定できず、何らかの行動を取れるのが自分だけとなれば……もう答えは決まったようなものである。逮捕されて既に数日、ウェールズに確認している暇はなかった。
「……よし」
「リシャール様……?」
「艦長には『鋭意努力する』と伝えて下さい。
 それから……今すぐトリスタニアへ向かわねばならなくなりましたから、明日の予定は白紙不在に。
 至急につき随員は不用、アーシャを使います」
「は、了解であります」
 さて、どんな理由を立てれば全てを丸く収めて怪盗フーケを獄中から救い出せるか、準備を申しつけている間に頭を回転させる。
 この際だ、多少の泥は被ってでも時間を優先させるべきか。
 最悪、ウェールズから手紙が届いたとでも言えばいいだろう。隠れていることになっていても、セルフィーユ宛なら各国どこに居ようと手紙は出せる。
「リシャール」
「……ん?
 ああ、ごめん」
 リシャールの表情からフーケを助けることに決めたらしいと読みとったカトレアは、マリーを示して一言を要求した。そう言えば話が途中だったと、もう一度娘を受け取る。
 不安そうな表情はそのままのマリーに、リシャールもうんと一つ頷いて向かい合った。
「お父さんは、お姫様にミス・ロングビルを助けて欲しいってお願いしてくる。
 いい子で待っててね」
「……ほんとに?」
「うん。
 マリーが懸命にお祈りしてくれたら、助けられるかも知れない」
 彼女の希望だけで怪盗フーケの助命を求めに行くことはなかっただろうが、タイミング良くウェールズの要望まで引き当てたとなれば、うちの娘は始祖の祝福でも受けているんじゃないかという気分にもなる。
「ありがとう、とうさま!」
「マリー……」
 小さく震えて抱きついてきたマリーに、ミス・ロングビルのことを本当に心配していたんだなと気付き、娘を慰めつつカトレアに視線を向ければ……どうやら、『お父様』としては合格の様子だった。
「リシャール、これも持っていって」
「うん?
 ……え!?」
「役に立つと思ったのだけど……どうかしら?」
 カトレアの差し出した『それ』に、リシャールの目は丸く見開かれた。
「なんで、こんな……!?」
「いいのよ。
 急ぐんでしょ?」
「そりゃ、えーっと、うん、使い方次第じゃ何とでもなりそうだけど……。
 でも……え?」
 返事代わりにキスをされ、これは後に引けなくなったかとリシャールは頭を掻いた。
 ……失敗は、許されない。

 カトレアから預けられた嘆願書がわりの『それ』を胸に、翌朝少し遅め、リシャールはトリスタニアの王城へと直接降り立った。強行軍だがいつものことだ。
「きゅい!」
「アーシャ、ありがとう。お疲れさま」
 慌ててやってきた竜丁や兵士に身分を明かす。
 気ばかり急くが、ここで慌てた様子を見せてはよろしくない。
「昨日でしたか、いつものように王太女殿下よりお手紙を頂戴いたしまして、丁度こちらに来る用があったので直接お伺いしたのですよ」
「そうでありましたか」
「朝の訪問は失礼かとも思いましたが、お待たせしすぎるのもやはり失礼かと思いましてね。
 いつもなら船便で一週間は掛かってしまいますから」
 案内に付けられた文官に、リシャールは作り笑顔をふりまいて見せた。

 アンリエッタが小さな謁見の為に準備を整える時間をリシャールは遅い朝食に使い、呼びに来たアニエスについていく。
「どうです、こちらの様子は?」
「内向きは変わらずですが、我々もヴィンドボナに移る準備を進めています」
 王太女殿下のお輿入れでは、荷馬車一台というわけにも行くまい。
 フネで行けば早いところを、慣例にしたがって馬車の列が街道を進む予定だという。
「道中はともかく魔法衛士隊は連れて行けぬと、侍女の半分は護衛で固められる予定であります。
 それから、アンリエッタ殿下より陛下の元にもお話があったと思いますが……」
「ええ、準備は進めていますよ」
 アンリエッタからは、アニエスを中心とする護衛職侍女に配する装備の注文を受けていた。
 アニエスが所持するものと同等の女性用武具一式を十五名分、納期は輿入れ前、剣は個人に合わせた特注品を希望する……。
 同時に彼女自身が身にまとう戦装束も発注されており、注文はありがたいが一時的に政務を放り出すことになるので、宰相らに仕事の調整を頼んでいるところだ。
「でも、貴女を隊長とした新しい親衛隊を発足させる……わけではないようですね?」
「はい。
 しかしながら、殿下は何かお考えをお持ちのようです」
「へえ……?」
 彼女の安全度を僅かでも上昇させる意味でも、少し早めに納品した方がいいかと、リシャールは思案顔を作った。
「いらっしゃいませ、リシャール陛下」
「突然の訪問申し訳ありません、アンリエッタ殿下」
 いつもより奥に位置する応接間だなといらぬ事を考えながら跪き、彼女に手を取られて椅子に座らされる。
 初手の挨拶だけはいつも通り堅苦しいが、アンリエッタが『身内』と見なしている侍従侍女たちや武官文官だけで固められるか、人払いがされるまではリシャールも彼女の言動を観察しつつ合わせるようにしていた。
 アニエスが一礼して扉の向こうに消え、部屋にはいつぞやの応接室同様、二人だけが残される。
「それで、どうしたのかしら?
 なんだか余裕がないわね」
「……そう見える?」
「ええ。
 ゲルマニアへ行く前のわたくしみたいよ」
 望まぬ結婚に対しても大きな一手を自ら指した彼女には、憂いはあれども心の余裕が生まれたというあたりか。微苦笑を向けるアンリエッタに、そうかもしれないねと同意を示す。
 さてこの一件、彼女に対しては、正直に全て話すのもよろしくないが嘘をつくのもまずい。リシャールは言葉を選びつつ、慎重に口を開いた。
「半分はお願いで、半分は相談なんだ。
 先日、怪盗フーケが捕まったって聞いたんだけど……」
「ええ、魔法学院の生徒達が捕まえたそうね。
 将来有望で結構なことだわ」
「……一人はルイズだよ」
「まあ!」
 各々の名までは、アンリエッタには伝えられていなかったらしい。それに申請があったシュヴァリエの叙勲は、従軍を必須とする法制度上の観点から勲章に差し替えられたそうだ。もっとも、学生のうちに勲章を贈呈されるのも相当希なことで、勇者たちの名誉に傷が付いたわけではない。
「で、そのフーケなんだけど……」
「……ええ?」
「なんとかセルフィーユに引き取れないかと思ってね」
「えっ!?
 フーケを?」
「うん。
 ただ、ちょっと妙案が浮かばない。
 秘密裏か表立ってかは問わないけれど、トリステインとセルフィーユが納得できて恥を掻かずに済むような手を思いつかなくて……困ってる」
「……困ってる、じゃないでしょう、リシャール!!」
 珍しく声を荒げたアンリエッタに、リシャールは小さくなった。当たり前だが、風雲急を告げるこの折に、私的な……それも法と倫理を正面からねじ曲げるような要望を自ら振るなど、あり得ないしあってはならないのだ。
「でも、どうして……」
「マリーにお願いされたんだ。
 もちろんそれだけなら、流石に僕も君の元を訪ねるような恥知らずな真似をする気はなかったよ。
 でも『とある人』から手紙が届いてね。
 短い手紙だったし、理由も書いていなかったけど……フーケを助命してくれって」
「『とある人』?
 ……!!」
 はっと何かに気付いた様子のアンリエッタに、リシャールは小さく頷いた。
「……彼が何処にいようと、セルフィーユの城はひとつ所から動けない。
 こちらから連絡を取る事は不可能でも、困ったことにあっちからのお願いとやらは届くんだ」
「……そう」
「ただ、彼のことはマザリーニ猊下にもお話しするべきかどうか、僕は迷っている。
 信用も信頼もしているけれど、猊下を見つめる監視の目は厳しいんだっけ?」
「この奥間と違って、宰相の執務室は人の出入りが多いのよ」
 暗に情報は筒抜けだと、彼女は肯定して見せた。
「まあ、そんなわけで……おほん。
 娘のわがままで隣国の法と倫理をねじ曲げるため、頭を下げにやってきたんだよ。はあ……」
「その溜息、そのまま貴方にお返ししたいところね」
「……全てが無事に終わったら、二人揃ってロンディニウムで盛大に溜息をつこう。
 それぐらいは許されるよ、きっと」
 とは言うものの具体的な方策となると、余り碌でもない思いつきしか出てこないのが恨めしい。しかも、ウェールズの名を出さずに済まそうと思えば、結局はリシャールが泥を被るぐらいしか思いつかなかった。
「一応ね、カトレアが役に立つと思うからって、百万エキュー持たせてくれたんだけど……」
「百万!? ……簡単に言うわね」
「僕もね、驚きすぎてどうしたもんかと……」
 おいそれと使うわけにもいかないが、もしもここで札として切るならウェールズに顛末を話して請求するべきか、微妙なところである。
「……もしかして、カトレア殿の持参金?」
「うん、多分」
「多分って……」
「僕も存在を知らなかったって言うか、忘れていたって言うか……。
 だいたい、結婚式の日取りだって前々日まで知らなかったぐらい、あの時は慌ててたんだよ」
 だが短時間で名案など思いつくはずもなく、マザリーニを呼んで真実を告げるしかないらしいと結論付ける。
 二人はロンディニウムへと到る遥か以前ながら、揃って大きなため息をついた。

 呼ばれてやってきたマザリーニは、流石に難色を示した。
「フーケですと!?」
「猊下、申し訳ありませんが、良いお知恵を拝借できませんでしょうか。
 引くに引けぬ事情と言いますか、その事情さえ問題を持ち込んだ自分が知らぬと言うのは情けなくありますが、何卒お願いいたします」
 リシャールとアンリエッタがぎりぎりの線……『とある人物』より懇願があったこと、その『とある人物』は表向きマリーにしたいこと、百万エキューまでなら即時動かせることを手札として晒したことで、マザリーニは渋面を作りながらも何とか取り計らうと請け負ってくれた。彼もウェールズの生存については何か言いたげであったが、口には出さず聖印を一つ切って済ませている。
「陛下、殿下。
 ……後ほど、必ず説明はしていただきますぞ?
 ええ、必ずです」
「ご苦労をお掛けします」
「ロンディニウムでアルビオン開放の為の諸国会議が終わり次第、すぐにでもお話しいたしますわ」
 肩をすくめたマザリーニにそのまま部屋で密談を続けられよと言われ、待つこと小一時間。
 マザリーニはアニエスとともにもう一人、眼鏡のメイドを連れて戻ってきた。
「彼女が『土くれ』のフーケです」
 年の頃ならカトレアと同じぐらいだろうか。投げ遣りな目でこちらを見ているが、心が折れたわけでもなさそうで、一筋縄では行かないなと思わせるに十分であった。それをアニエスが眼光鋭く押さえていなければ、すぐに騒動の一つでも起きそうな様子である。
「……で、私をどうしようってんだい?」
「貴様!
 場をわきまえろ!!」
「アニエス、いいから」
「……は」
 怒り心頭のアニエスを片手で押さえ、アンリエッタはリシャールを促した。
「……こんにちは」
「はいよ。
 そっちの王太女殿下はともかく……あんたは?」
「セルフィーユ国王、リシャールだ。
 先日は娘がお世話になったようで、ありがとう」
「ああ、あの姫さんのお父さんかい。
 話にゃ聞いてたけど、えらく若いね?」
「アンリエッタ殿下と同い年だよ」
「へえ……。
 でもセルフィーユってことは、ウェールズ王子の差し金かい?」
 リシャールは肩をすくめ、これ見よがしにため息をついた。それが表に出来るなら、どれほど楽だろうか。
「だったらいいんだけど……。
 ミス・ロングビルを助けてって、娘に泣かれてね」
「はあ!?
 娘に泣かれたってだけで、私を助けんのかい!?
 この大泥棒を? 貴族の顔に泥を塗ったこのフーケを!?」
「そう言うことにしておいて欲しいんだ。
 ……わかってもらえるかな?」
 しばらく胡乱な目で睨まれたが、こちらも譲歩は出来ない。
 リシャールも事情の全てを知っているわけではなく、納得もしていなかった。だが、その後までを見据えるなら、ここはウェールズの無理を聞いておくべきとの一点に賭けて即断したのだ。
 その複雑な心中が通じたとは思えなかったが、やがて彼女は肩をすくめた。
「まあね、今更選べないってのはわかってるさ。
 私だって命は惜しいし、まだ死ねない理由があるからね」
「……そっか」
「で、陛下。
 あんたは私に何をさせようってんだい?」
「しまった。
 そこまで考えてなかったなあ……」
「……はは、呆れたお人だね」
「とりあえず娘には会って欲しいかな。
 それから決めるよ」
 案外まともな人物なのか、それともその場しのぎの虚言か。……だが死ねない理由があると言ったその言葉には、本心が隠されているような気もする。
 判断は保留にして、リシャールはマザリーニへと向き直った。
「猊下、落としどころはどのあたりになりましょうか?」
「はい、セルフィーユは同盟国トリステインに対し空海軍の建艦計画支援を表明、という型式を取らせていただきたく思います。
 トリステインはその志を歓迎し、『十万』エキューの支援金を受け取ると同時に、以前から要望のあった金銀貨の製造設備の譲渡および技術指導を前倒しにて行うとさせていただきました。
 手ぶらで陛下をお返しするわけにもいきませぬからな、このあたりで如何でしょう?」
 マザリーニの心遣いに、リシャールは一礼して見せた。上手く値切ってくれたらしい。
 それに昨今、貧乏を周囲に印象づけているセルフィーユである。いくら横紙破りをトリステインに飲ませるからと、いきなり百万エキューを出すようなことをしてはそれまでの積み重ねが無駄になってしまう。リシャールは自らを省みた。
 戦費としての十万エキューは、中型スループ一隻または商船構造の小型艦二隻の建造費に匹敵する。補助艦艇の一隻二隻がどれほど戦況に影響するかは分からないが、あるもの全てを投じる覚悟のトリステインだ、無駄にすることはないだろう。
 だが……。
「……宰相?」
「猊下、あの、『土くれ』のフーケについては……?」
「残念なことに、既に獄中にて死んでおりました。
 ……こちらはリッシュモン高等法院長よりの報告書であります」
「へえ、私はもう死んでんのかい?」
 リシャールは、調書や訴状が束になった報告書をマザリーニから受け取った。
 なるほど、裏事情の一部を開陳して、一足飛びに司法のトップを押さえてしまったわけだ。時間最優先、どうせあの世に送る死刑囚だ、引き替えに十万エキューの支援が得られるなら安いものと、金貨袋で高等法院長を黙らせたようにも見えるが……そのぐらいの泥かぶりで済めば許容範囲であろう。
「そうそう、フーケ」
「なんだい、姫様?」
「わたくしの国で盗みを働いたことは、王太女のわたくしには看過できません。
 けれど、個人のわたくしは貴女への感謝でいっぱいなのよ」
「……どういうことだい?」
「ふふ、それはまたのお楽しみにとっておいて頂戴」
 この場で語られることはないと見て取ったフーケは、やれやれとそっぽを向いた。
「さてリシャール、これでいいかしら?」
「この上なく、ね」
 もう一騒動は覚悟しているが、ともかくも、一つの山場は終えたと見ていいだろう。
 あとは……フーケを何処まで信用していいものか、こればかりは彼女の身の振り方と共に、リシャール自身が判断を下すしかなかった。





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