ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第六十話「変事」




 マチルダ・オブ・サウスゴータ、ミス・ロングビル、あるいは『土くれ』のフーケ。
 更にミス・ヴァレンタインと名を変えた彼女は、真実を知る者からは若干の警戒を受けながらも、リシャールの執務室付き秘書としてしばらく過ごしていた。
 魔法学院では十分書類仕事に慣れていたのか、それとも彼女の資質故か、ブルーノ書記官ら庁舎に勤める文官からの受けはよいし、実際に仕事も捗っている。流石に仕事中はわきまえているようで、蓮っ葉な言葉遣いなど何処に隠したのか尻尾さえ見えなかった。
 その上錬金鍛冶の手伝いを試しに頼むと、流石はトライアングルの土メイジとも言うべきで、トリステイン王家からの注文は予定よりも早く終えられている。
 一度ラ・ラメーと示し合わせてウェールズと場を持たせたが、その際に何が話し合われたのか、リシャールは知らない。
 だがそれ以後、何かの拍子にウェールズの名が出ても多少険が取れただろうか。吹っ切れたわけはないだろうが、武装中立ぐらいには進展があったと思いたいところだ。
 それにしても……。
「……しまったな」
「どうかなさいましたか?」
「マリーの家庭教師に付けるのが惜しくなった。
 このまま秘書か鍛冶仕事の助手を続けて欲しいぐらいだよ」
「約束を破ると、姫様がお怒りになられますわよ?」
 残念ながら、この有能な美人秘書は明日アルビオンへと旅立ってしまうのだが、こちらに戻ってくるのは間違いないらしい。カトレアのお願いに幾分逡巡した後、彼女はマリーの家庭教師を引き受けることに同意していた。
 今月は試用期間にプラスして準備金ということでティファニア姫らの生活費まで合算して、リシャールの私的な財布から三千エキューの小切手が手渡されている。
 ……ちなみに『ドラゴン・デュ・テーレ』前部上層砲甲板砲長アンソン航海士ことウェールズはと言えば、航海士の月給十二エキューに砲長の手当が一エキュー半、出航すると日割りで一日十五スゥの戦闘配置手当か十スゥの航海手当が追加された。空海軍はトリステインのそれに範を取っており、階級と職掌で厳格な給与規定が定められている。まさか皇太子手当など支払われるはずもなく、申し訳ないとは思いつつも、言葉通り耐えて貰うより無かった。

 そのミス・ヴァレンタインをトリステインを中心とする神聖アルビオンとの国交樹立に合わせ、念のためそのトリステインに用立てて貰った姿替えの魔法具を持たせてティファニア姫の元へ送り出した頃。
 月の変わり目、両国にゲルマニアを加えた三ヶ国不可侵条約が発効し、アンリエッタとアルブレヒト三世の結婚が発表されと、一気に国際政治の舞台は忙しくなったが、セルフィーユは幾度かトリスタニアに人と書類を送ったぐらいで、大きな流れからは若干距離を置いていた。予め聞いていた内容と食い違いはなかったし、しゃしゃり出る理由もなければこんなものである。
「代わりにこちらは忙しくなりそうですわね」
「手間の分だけ、楽になると信じましょう」
 久々に訪ねてきてくれたマルグリットにフレンツヒェンも呼んで、年間計画の雛形のようなものを話し合う。
 彼女にはアルビオン王党派への支援が終了した後、一連の戦役が続く間……堅調を維持すると予想される期間はともかく、その後は売り上げが急落するであろう武器工廠について、転換計画の策定を依頼していた。
 トリステインへの武器輸出はアルビオンへのそれと同様に好調を期待できるが、この好調は今度こそ一年弱、上手く行っても最大三年と期限を切られてしまっていた。開戦とその後の防衛、そして反攻。対神聖アルビオン戦が終われば、大口の売り込み先はしばらく期待できない。
「さて……民需転換の方向性ですが、お二方からは?」
「ではまず、ラ・クラルテ商会からですが……。
 通常の鉄材はこれまで通り、増産までは傾けずともよいと思います。
 利益は落ちるかも知れませんが、定量を確実に引き取ってくれる先を持つことで、他の不安定な要素に足を引っ張られるのを少しでも遠ざけたいですね。
 特に銃砲は予定される戦役終了後、値崩れを起こすでしょうから」
 何が困るといえば、戦争が終われば不必要な銃砲は市場でだぶつき、元が取れない状態になることが予想されるのだ。トリステインも、戦争に目処がつけば当然買いを止めるだろう。在庫を抱えて次の戦役を狙うなど流石に酔狂が過ぎるし、その間の運転資金を他に回す方が健全という物である。
 無論、工員の技術維持という側面から武器工廠の閉鎖は悪手となるが、規模縮小と生産調整は必要であった。
「戦役後、工員の半数程度を民需に振り向け、針金、釘、鉄板、鉄管、鉄棒……いわゆる鉄材の類に集中したいと思います。
 その他業種への転換も考えましたが、無駄が多いかと」
「ですな」
「例の刃鋼の件はどうです?
 やはり厳しいですか?」
「鋼板はともかく、刃鋼を使った鋼管は量産には不向き、と言いますか、余りにも手間が掛かりすぎて商売にならないかもしれません。
 針金も従来の方法では機械が用を為さず、途方に暮れているそうです」
「……急ぎすぎましたか。
 その他の製品の類はどうですか?
 以前より種類は増えていると思いますが……」
「炊事用具や斧、金槌と言った単純な構造の品は、十分に。
 ただ、ディディエ殿によれば曲尺や秤量器など、少し精密な工具道具になると見本があってさえまだまだ歩留まりが悪く、商売にならないそうです」
「機械類の生産に繋げるのは、やはり相当先になりそうですな。
 陛下やミス・ヴァレンタイン並の土メイジを数名でも専属に出来れば、進捗の度合いは大きくかわるとは思いますが……」
「今は無理でも、余裕が出来れば自分もそちらに回りたいところです。
 二十年とか三十年の後に、『セルフィーユ産の機械は値段も高ければ出来まで悪い模倣品』……とでも揶揄されるようになっていれば、大した物だと思いますよ」
 セルフィーユには鉄鉱石ぐらいしか売り物がなく、それにしたところでセルフィーユ以外にいくらでも産地がある代物であった。
 鉄鉱石よりも鉄材、鉄材よりも銃砲……その銃砲が封じられてしまう前に、民需を加えた二刀流としてしまいたいところなのである。当初は堅実に売って行くつもりが叛乱や戦争という大きな潮流が押し寄せてしまい、予定は大きく狂ってしまった。
 最初から高望みはするまいが、種を蒔いておかねば芽も出ない。無論、この一連の戦争を乗り切らねばまったくの無駄になってしまうが、テューダー王家から託されたに等しい援助物資の代金も無限ではなかった。最近は迷惑料というよりも、戦時賠償金の前渡しあるいは国ごと雇った支度金ではないかとさえ思えてきて仕方がないリシャールである。

 そんな折、珍しく王政府にアーシャとエルバートの騎竜以外のドラゴンが降り立って、ちょっとした騒ぎになった。
 敵襲というわけでもないが、トリスタニアからの急使かと思って身構えていれば、乗ってきたのはタバサだという。
「ああ、そう言えば彼女はドラゴンを召喚したって聞いてたっけ……」
 普段なら執務室に招き入れて挨拶を交わすところ、興味本位が先に立ってリシャールは裏庭へと向かった。
「きゅいいい……」
「きゅる?」
 表口から出て裏に回れば、アーシャよりも若干小柄な青い竜が彼女に甘えている様子が見て取れる。何故か大きく疲労しているのようだが、急いできたのかもしれない。
「お帰り、タバサ」
「ただいま」
 彼女はいつもの様子で、何かあったというわけでもないようだ。
「新聞、見たよ」
「ん。
 リシャール」
「うん?」
「フネを貸して欲しい」
「フネ!?
 どこかに行く用事でも出来たのかい?」
「……宝探し」
 何となく恥ずかしそうな様子のタバサに、キュルケあたりが焚き付けたんだろうかと、その光景を想像する。キュルケには以前の滞在時、アリアンスの探検に出掛けたという実績があったから、適当に授業をサボる口実でもでっち上げたのだろうか。
「でも、フネで行くほど遠くなの?」
「違う。
 ……人数が多すぎて、シルフィードには乗せられなかった」
 青い竜を示した彼女に、なるほどと頷く。
「あー……もしかして、『全員』?」
「そう」
 去年の夏のメンバーにサイトを筆頭とした使い魔集団が加われば、流石に竜一頭には乗り切れまい。
「……よし。
 今日の出航は無理でも、明日の朝にはタバサを乗せて学院に向かうように出来ればいいかな?」
「……いいの?」
「うん。
 『今回は』って注釈が着くけどね」
 宝探し……言うなれば、子供の遊びにフネを出すこと。
 頼んだタバサの方こそ不思議そうな表情で、了承したリシャールの方も苦笑していた。
 平素なら流石に小言……それもフネを動かす費用とその面倒な手続きを前面出して断っていただろうが、今は少し状況が異なっている。
 戦争間近なこの状況、セルフィーユ空海軍はトリステイン国内に兵力を張り付けておく適度な理由を探しては、フネをラ・ロシェールやトリスタニアと往復させていた。
 無論、ラ・ロシェールの空海軍司令部もトリスタニアの王城も了解済みで、元母国の風に慣れている老士官たちはともかく、水兵たちにはやはり必要だし中堅どころの育成も急務とあって、有事に備えた訓練も兼ねて大々的に行われている。
「そうだ、タバサ。
 僕からも報告があるんだ」
 彼女にだけは予め話しておくべきかと、リシャールはフーケの件を切り出した。フーケは現在アルビオンへの旅の途上だろうが、どこかで鉢合わせしないとも限らない。
 他の人には内緒だと前置いて、ウェールズの件は伏せたまま首飾りの件も真相を含めて付け加える。元花壇騎士、それも裏仕事を専門としてきた彼女には、伝えておかないと問題になる可能性もあった。
 リシャールのように部下の力を借りて得たシュヴァリエと、シュヴァリエが先にありきで今は剥奪されていても裏の任務をこなして生き残ってきた彼女とでは、場数が違いすぎる。正解を手繰られても不思議ではない。逆にただの学生であるルイズやキュルケには、裏向きの事情までは説明すべきではなかった。
「フーケは納得した?」
「うん、割と素直だったよ。
 問題が起きた時はセルフィーユに戻らず身を隠せって先に伝えてあるし、そのまま逃げられても……まあ、逃げたら逃げたでいいかとも思ってる」
「……逃げてもいいの?」
「目的の半分はそれだから。
 種明かしは……いつになるか分からないけどね」
「ん、わかった」
 母の住むセルフィーユに危険がないならそれでいいとでも言う風に、タバサはこくりと頷いた。
「もう一つ、リシャールに聞きたいことがある」
「うん、なにかな?」
「……アーシャも韻竜?」
 声を潜めたタバサの一言に、流石に緊張したリシャールである。アーシャの事は表に出来るはずもなく、これまでも可能な限り秘していた。
 だが、彼女の言葉に引っかかりを覚え、小さく聞き返す。
「『も』……ってことは……」
「ん」
 タバサも小さく頷いた。
 アーシャの方を見やれば、疲れたシルフィードをいたわっているようにも見える。
 竜舎にいるような並のドラゴンなら一睨みで群れごと押さえてしまうアーシャが、タバサのシルフィードには甘えを許していると言うことは……間違いないのだろう。同じ韻竜を使い魔に持っているタバサに、気付くなという方が無理だ。
 希少種、伝説、滅びた種族……などと枕詞がつく割にこの短期間で自分の周囲に二匹、案外数が多いんだろうかと、リシャールは首を捻った。
「・……お互い、他の人には内緒にしておくってことでいいかな?」
「ん。
 わたしも困る」
「じゃあ後は……そうだなあ、こちらでの住処や食べ物のことは、アーシャとシルフィードで相談してもらおうか。
 アーシャはセルフィーユに住んでる使い魔のまとめ役だから、聞き取りはまかせてあるんだ」
 急ぎの決め事はそのぐらいかなと、お母上に顔を見せに行くよう促して、リシャールはタバサとシルフィードを見送った。
 王政府からの帰り際、アーシャに聞いてみたところ、シルフィードのことは特に聞かれなかったからという至極もっともな返事を返されて納得したリシャールである。
「ここのところ、それどころじゃなかったもんなあ」
「きゅい」
 翌日、風石をたんまり積んだ『サルセル』をタバサごと魔法学院に向けて出航させると、セルフィーユには平穏で忙しく、そしてどこか不安な日常が戻っていた。

 月の終わりに近づいて、輿入れするアンリエッタの『お見送り』の為、トリスタニアへと向かう準備をしていた頃。……とは言え、ヴィンドボナで行われる式にも出席するので二度手間ながら礼を欠くわけにもいかず、外遊に向けてフレンツヒェンらと不在時の打ち合わせに忙しい折だった。
「これは少し気を使った方がいいかな……」
 リシャールは、そのトリスタニア経由で無事に戻ってきた『サルセル』の報告書と冒険者達からの手紙を眺めて嘆息した。
 『サルセル』は魔法学院で生徒と使い魔を乗せて冒険に出たが、なんとルイズが宝探しに参加していなかったと言うのである。
 表向きはめでたくもアンリエッタの結婚式の巫女に指名され、祝詞を読まなくてはならなくなったので学院に残って思案中だったとのことだが、サイトと喧嘩してそのまま断絶中となって同行しなかったらしい。ヴィンドボナで会う時にでも、話を聞いた方がいいなと天井を見上げる。
 冒険の方は外れ続きながら、オーク鬼を退治したり洞窟を探検したりと、それなりに波乱に富んでいる様子だったが……。
「『竜の羽衣』……って、あれ、学院に持ち帰ってきちゃったのか!?」
 彼らに同行していたシエスタの故郷タルブ村の秘宝『竜の羽衣』こと、日本の戦闘機。
 それは強烈な印象と共に、リシャールの記憶に刻まれている。もちろんサイトは飛ぶと言っていたそうだが誰も信じていない様子で、報告書にも彼の懇願で甲板に乗せて学院まで運んだが見かけよりも重く、積み卸しにはその場にいた全メイジが必要だったと、半ば厄介者のように締めくくられていた。
 だが持ち主であるシエスタの家族、そしてタルブの村人たちが納得しているなら問題はないし、サイトもたぶん、日本の物が懐かしくて無茶でも頼み込んだのだろう。
 しかし……持ち帰ったのはともかく、飛ばせる者もいないし保管場所も新たに確保が必要だろうに、彼はどうするつもりなのか少し心配になる。適当に理由を付けて、時々見に行った方がいいかもしれないなと、リシャールはひとりごちた。

 翌々日、リシャールは家臣らに後事を託し、『ドラゴン・デュ・テーレ』を仕立ててトリスタニアへと到着していた。いくつか途中で投げ出してきた仕事もあるが、こちらの予定が優先される。
 トリスタニアでお輿入れの馬車を見送ると、そのまま先回りしてヴィンドボナで結婚式に出席する予定で、カトレアとマリーも同行していた。……アルビオン共和国の親善艦隊もラ・ロシェールとトリスタニアを経由して似たような航路でヴィンドボナへと向かうが、流石に同道しようと言う気にはならない。
「あちらの通りは市が立っているわね」
「かあさま、あれは?」
「お祝いのお花を売る屋台ね。
 看板にアンリエッタ様のお名前が書いてあるわ」
 今日は公邸で一泊、明日はアンリエッタに挨拶を済ませてマザリーニと打ち合わせを行う。
「おひめさま?」
「うん、そうだよ……ん?」
 いつぞやのように、公邸への道中の真ん中あたりで馬車が止まった。
「どうしたのかしら?」
「なんだろうね」
 今日は虚無の曜日ではないから、街中でルイズが手を振っているということもないはずだ。
 小窓を開けると、ジャン・マルクが前方を注視していた。
「陛下、魔法衛士隊の一隊が!」
「うん?」
 ヒポグリフに乗った魔法衛士隊が、十数騎ほどこちらに向かってくる。……よく見れば騎士に混じり、到着の先触れにと王城に向かった近衛隊の兵士もいたので、これは自分に用事かと身構える。
「アンリエッタ殿下は『即時のご来訪を願う』との仰せでございます!」
「……ご苦労さま。
 隊長、頼みます」
「はっ!」
「自分達が先導いたします」
 中身もまだ聞かされていないが、何かあったことだけは間違いない。
 心配げなカトレアの手を握って安心させ、大人達の不安を受けたのか、少し緊張した様子で馬車を囲って併走するヒポグリフに見入っているマリーに目を向ける。
 結婚の延期程度ならいいのだがと、リシャールは小さくため息をついた。

 辻ごとに配置されていた先導の騎士が人の流れを止めていたお陰で、王城へは驚くべき早さで到着した。
「リシャール陛下、急がせて申し訳ありませぬ」
「マリアンヌ様!?」
 城門をくぐり本城の廊下を幾らも行かぬ内に一行を出迎えたのは、なんとマリアンヌ王后である。流石に慌てて跪く。
 ……異常事態だと、リシャールは直感した。
 礼節と慣例という名の古式に則った手間を頑なに守るトリステインで、王后陛下が自らの足でリシャール『ごとき』を出迎えに来るなど、本来あってはならないのだ。
「カトレア陛下、マリー姫はこちらに。
 リシャール陛下」
「はい」
「……を、頼みます」
「はっ!」
 娘か、あるいは国か。
 良く聞き取れないながらも静かな気迫に打たれたリシャールは、反射的に首を垂れた。
 カトレアとマリーは随員ごとマリアンヌに預け、案内の騎士のみを従えてアンリエッタが待つという議場を無言で目指す。……即位以来、変事や異常事態には心当たりがありすぎて、何が起きているのか想像しにくい。
「セルフィーユ王国国王、リシャール一世陛下ご到着であります!」
 略式の呼び出しと共に、議場の扉が開かれる。
 居並ぶ面々はアンリエッタを筆頭に、貴族院議員のみならず王政府の重鎮らトリステインの中枢を占める人々だ。
 こちらですと案内されるまま、跪く彼らを横目にアンリエッタの隣、段座が設けられていて一際豪華な座席が置かれている場所へと向かう。
 よく見れば彼女は豪奢なウェディングドレスをまとっていたが、真剣な表情がその衣装本来の意味をうち消していた。
「リシャール、挨拶は抜きよ。
 ……神聖アルビオンは、杖を抜いたわ」
「!!」
 付け焼き刃同然の準備など無意味とあざ笑うかのような状況の急変に、リシャールは大きく目を見開いた。





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