ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第六十一話「アンリエッタ・ド・トリステイン」




 神聖アルビオンによる宣戦布告。
 確かに予定の内ではあったが、時期が悪すぎる。
 アンリエッタは会議をマザリ−ニに任せ、進行の様子を一段高い壇上から見下ろしつつ、唇を僅かに動かして小声で告げた。
「……騙し討ちよ。
 親善艦隊は、礼砲に実弾を混ぜるなど卑劣、フネが沈んだと言いがかりを付けてこちらの艦隊を全滅させてすぐ、数十分で書けるとは思えないほど長い宣戦布告文を投げてきたわ。
 あちらにしてみれば、当初の予定の通り……と言うところかしら」
「艦隊が、全滅か……」
「出迎えに出ていたのは、戦列艦の半数とあとは小さいフネね。
 長官以下司令部も全滅、大型艦は一隻残らず落とされたそうよ」
「ラ・ラメー伯爵……」
 少しだけ目を瞑り、聖印を切る。
 彼はこちらのラ・ラメー長官の甥であり、即位以前より懇意にしてくれていた人物でもあった。
「会議の方はどう?」
「今は外交による停戦かそれとも打って出るのか、決めかねているところね」
 議場では、マザリーニと貴族院議員が鋭く舌戦を交わせている。
 外交による解決を望む者、今すぐの出戦を叫ぶ者、おろおろと顔色だけを変える者……確かに酷いなと、リシャールは内心で嘆息して天井を見上げた。少なくとも王がいるセルフィーユは、会議の進行については随分とましな様子である。
 しかしその状況で、アンリエッタは大して動じた様子もなく超然としていた。
 表情は硬いながらリシャールに対する口調は冷静その物、しかし大国の王太女たる片鱗を見せつけている、というわけではない様子だが……。
「……決めかねているんだ?」
「丁度いい機会なのよ。
 誰がどちらを支持するか、それとも、会議を徒に長引かせようとするのか、見極めているの。
 この茶番劇が紛糾することは最初からわかっていたし、止めようもないなら、せめて有効に使わないともったいないわ。……時間も、人も」
 わたくしはもう決めましたのよと言わんばかりのアンリエッタに、リシャールは小さく肩をすくめた。とんとんと指で示された彼女の手元の書き付けを見れば、貴族の名が幾つも並んでいる。
 ……胆力もあれば血筋も判断力もある彼女に足りていないのは、頭の上に乗せる金色の重いものだけらしい。
 だがその至尊の冠がないばかりに、この国難の折、保身と蓄財にしか興味が無く宮廷ごっこの大好きな主流派貴族たちを正面から掣肘することも出来ず、僅かな味方もそれに引きずられていた。いまも時間の無駄と知りつつこの茶番に付き合わねばならない彼女に、少しばかり同情する。
 そこまでを考えたとき、大きな足音と共に伝令の腕章を付けた騎士が駆け込んできた。
「報告! 報告!
 アルビオン艦隊は、降下して占領行動に移りました!」
「何だと!?」
「場所はどこだ?」
「ラ・ロシェールの近郊、タルブの草原であります!」
「規模は? 戦力は?」
「領主は誰だ!?」
 にわかに騒がしくなった議場にも動じないアンリエッタに、リシャールも倣った。
 タルブはジュリアンやシエスタの実家があり、サイトが持ち帰る前、『竜の羽衣』が安置されていた村だ。村人たちは無事だろうか。
「……タルブなら竜だと半日、後先考えず使い潰すつもりで風竜を飛ばせば二刻半から三刻ぐらいになるか」
「行ったことがあるの?」
「ワインの美味しい、いい村だよ。
 なだらかな草原と麦畑が広がっているから、多数のフネを降下させるのに都合がよかったんだろうな……」
「……そう」
 幾らか感情を刺激されたのか、彼女の手元から羽根ペンが軋む音が小さく聞こえた。
「ところで、僕の役どころは?」
「残ったフネの全て、あなたに預けるわ。
 この戦が落ち着くまでは、リシャールがトリステイン空海軍の司令長官ね」
 他の場合なら驚きでひっくり返りそうになっただろうが、いまなら『その程度で済ませてくれたらしい』とさえ思えるところが皮肉だ。
「……他に方法がないんだね?」
「国賓の出迎えが徒になったわ。……艦隊と一緒に司令部も全滅していて、まともな指揮を執れる者がどれだけ残っているかもわからないの。
 あなたのところのラ・ラメー卿と、上手く計らって頂戴」
 アンリエッタは無表情に議場を睥睨したまま、リシャールへと自らの決定を告げた。その横顔は、彼女なりに怒り、哀しみ、悩み……行き場のない心の矛先を何処に向けて良いかわからず、耐えているようにも見える。
 この状況で拒否はない。いや、出来なかった。
 王にせよ指揮官にせよ、決定権を持つ者のいない集団が右往左往するのは、この議場を見ればよくわかる。『守れ』『撃て』『回り込め』……簡単な指示でも、指示その物があるかどうかが、この際重要だった。
「急報!
 タルブ領主アストン伯戦死!
 周辺では村々が燃やされております!」
 陸戦も始まった様子に、これはいよいよ本格的な侵攻だとリシャールも心の落としどころを定めた。
「……わかった、艦隊は引き受ける。
 君はどうするんだい?」
「こうするのよ」
 おもむろに立ち上がった彼女は、両の手で机を大きく叩いた。
 響きわたったその音に、議場が静まり返る。
 全ての人々がこちらを見ていた。

「……国土が侵されていることが明白なこの状況、やるべきことは一つでしょうに!
 それを停戦交渉だなんだと、飾り言葉で時間ばかりを食いつぶして……。
 あなたがたは、恥ずかしくないのですか!」

 アンリエッタは大きく手を横に振り、議場に集った人々を睨みつけた。……頃合いを見計らっていたらしい。
 再び議場がざわめき、勇気ある幾人かがもごもごと反論を口にしだす。
「王太女殿下、しかしですな、きっかけが誤解では……」
「そ、その通りですぞ!
 いまならば特使を送って……」
「不可侵条約も結ばれたばかり、ここは礼節を以て……」
「黙りなさい」
 アンリエッタはもう一度机を叩いた。手を挙げ、あるいは口を開こうとしていた議員たちが押し黙る。
「そもそも数百メイル離れた場所から放たれた礼砲で火が着くようなフネがあるのですか?
 これほどにも長い宣戦布告を礼式に従って書き記すのに、一体どれだけの時間が必要だと思うのです?」
 その程度のことも想像がつけられないのかという態度で、アンリエッタはゆっくりと議場を見渡した。
 
「民を傷つけられ、国を侵されてなお、誤解を解く努力をせよと?
 このアンリエッタ・ド・トリステイン、そこまで惰弱でも気長でもありませぬ!」

 言いたい放題に言い放ったアンリエッタに、リシャールはジェームズ王の影と未来の女王を見た。古参の貴族達は、あるいは彼女の祖父フィリップ三世を思い浮かべたかも知れない。
 その態度と気迫が維持されたまま、今度は個々への指示が出される。

「外務卿!」
「はっ!」
「ゲルマニアに援軍の要請を!
 一番はやい竜を使いなさい!」
「はっ!」
 こちらは予め取り決められていたのだろう、外務卿ラ・ゲール侯爵は心得たとばかりに一礼して素早く退出した。リシャールの知る限り、王政府内でもラ・ゲール外務卿、デムリ財務卿は宰相と並びアンリエッタの親派である。
「軍務卿、あなたは出せる部隊の全てをラ・ロシェールに送り出して頂戴!」
「全て、でございますか!?」
「ええ、全てよ。
 空海軍が機能していない今、トリスタニアだけを守ることは無意味に成り下がったわ。
 アルビオンでの戦訓はご存じよね?」
「直ちに!」
「ド・ゼッサール卿!」
「ここに!」
「城の前庭に魔法衛士隊を集合させなさい!」
「御意!」
「王家の藩屏たるを自認する貴族も前庭に!
 そうでない者は、ここで会議でも何でもお続けなさい!」
 矢継ぎ早に指示を出したアンリエッタは、ざわつく貴族達を一顧だにせず、真顔でリシャールを振り返った。
「リシャール陛下、お聞き及びかもしれませぬが、トリステインの主力艦隊は司令部ごと潰されてしまいました。
 空海軍に理解の深い陛下を頼らせて戴きたいのですが、残りのフネをお任せしても?」
「御意のままに」
「宜しく頼みます」
 うむと互いに頷き合う。
「こちらからも一つ。
 国許への知らせに風竜を一騎、お貸し願えますでしょうか?
 呼び寄せたところでたかが数隻の極小空海軍ですが、夜襲の一度ぐらいはかけられましょう」
「まあ、とても心強うございますわ。
 では竜騎士隊も合わせてお任せいたしましょう」
 これこそ本当の茶番だが、居合わせた人々に聞かせるためには仕方ない。
「さて……よいしょっ」
「殿下!?」
 アンリエッタは膝のあたりまでウェディングドレスをまくり上げると、そこから一気に引き裂いた。
「頑張ってくれたお針子には申し訳ないけれど、これで少しは動きやすくなったかしら。
 ……宰相、この場を頼みます」
「お任せあれ」
 マザリーニは混乱する議場を後目に、いつもの表情で聖印を切った。

「リシャール、空海軍委任の文書をお渡しするわ。
 着いてきて」
 議場を出たリシャールはアンリエッタに付き従い、城の廊下を足早に歩いていた。一度奥向きへ向かうところを見ると、戦支度らしい。
「アニエス」
「はっ!
 準備は出来ております」
 彼女の自室では戦装束に身を包んだアニエスが、胸当てと杖を用意して待ちかまえていた。百合紋のついた真新しい胸当ては、先日リシャールとミス・ヴァレンタインが仕上げた物だ。
 廊下で待とうとしたが、上から身に着けるだけなので大丈夫と止められる。
 ならばと彼女が着替える間に、リシャールは机を借りて国に宛てた命令書を作成し始めた。……アンリエッタ専用の透かしが入った上等の紙だが、後から連名にしてしまえば問題ない。
「リシャール、残った空海軍で何が出来るかしら?」
「とりあえずは、さっきも言ったような夜襲ぐらいだろうね。
 ……敵戦力どころか残存艦艇の数もわからないけど、迎えに出たこちらの艦隊が全滅するぐらいの敵艦がいるなら、まともに当たるのは愚の骨頂だということだけは僕もわかってる。
 艦隊でも地上部隊でもいいから、こっそり近づいて一撃離脱。……夜中に起こされたらいやでしょ?」
「敵が安心して休めなくなるわね」
「うん。これを毎夜繰り返そうと思う。
 余裕があるなら航路を締め上げるのもいいかな」
 明日になればもう数隻は増やせるだろうが、確定した戦力は現在『ドラゴン・デュ・テーレ』ただ一隻だ。出来ることは端から限られているし、ともかく時間を稼ぐことが肝要である。戦力差を考えれば、厭戦気分までは引き出せなくても疲労してくれれば御の字だ。
 その間に兵力の動員を進め、ゲルマニアからの援軍を待つ。来年かと思われていた神聖アルビオンの侵攻から考えれば予定の前倒しになってしまったが、他によさげな方策も思いつかない。
「……ゲルマニアの援軍が来るまで?」
「うん、ゲルマニアの援軍が来るまで。……ほんとに来るかな?」
 アルビオンが滅びに至る過程で少しだけ触れた、外交上の遣り口が頭の片隅をよぎる。
「もちろん来るわ。
 ……トリステインの命運が決まった後になるけれど」
 アンリエッタの言うように、来るか来ないかで言えば、確実に彼らは来るだろう。ただその時期が、こちらの都合とあちらの都合で食い違っているだけなのだ。
 どちらにしても、最初の一戦だけは……いや、その後も苦戦が続くだろうが、しばらくは今ある戦力だけで耐え凌がなくてはならない。
 それは数ヶ月も前に、リシャールも聞かされていた。
「それにしても、ほんとに君もラ・ロシェールに行くのかい?」
「もちろんよ。……後がないもの。
 士気でも何でも上げられるだけ上げておかないと、手に出来るはずの勝利までどこかに行ってしまうわ」
 ……王家の人々が持つ強かさは、リシャールには到底ないものだ。
 だが、にっこりと微笑んだその笑顔は、彼女を表す『トリステインの花』という言葉に相応しかった。
「リシャール!」
「とうさま!」
「カトレア、マリー!?」
 この状況、いってきますの一言は諦めていたのだが、誰かが気を利かせてくれたらしい。命令書を書く手を止めて二人を抱き留める。
「……いってらっしゃい、リシャール」
「いってらっしゃい!」
 左右の頬に妻と娘のキスを受け、気持ちを新たにする。
 何のために戦うのかと言えば、突き詰めれば家族のため、結局はそこに行き着くのだ。
「マリー、わたくしにもいってきますのキスを下さる?」
「はいっ!」
「……ありがとう」
 正直なところ、勝ち目のある戦かどうかも見えていない。
 だからと投げ出す気は毛頭なかった。……第一、逃げるだけならもっと早くに幾らでも機会はあったのだ。今更に過ぎる。
「リシャール」
「うん、行こうか。
 いってきます」
 アンリエッタに促されて紙束を懐にしまい込み、リシャールは家族に微笑んで部屋を後にした。
 歩きながらジャン・マルクにあれこれと指示を出す。アンリエッタもアニエスに加えて鎧に身を包んだ侍女達を従え、同様に指示を飛ばしていた。
「アーシャ号は既に王城に」
「助かります。
 私はしばらく、『ドラゴン・デュ・テーレ』にて指揮を執ります」
「では自分も……」
「駄目です。
 近衛隊はカトレアたちを守って下さい」
 書き上げたばかりの紙束を、数枚残して押しつける。一番上の紙はジャン・マルク宛で、万が一の場合は『カドー・ジェネルー』にてセルフィーユに逃げ帰るようにと書いてあった。
「竜騎士を借りる算段を着けましたから、明日には艦隊もこちらに到着すると思います」
「……了解であります」
 近衛隊はリシャールらの身辺警護も主な仕事だが、最後の盾でもある。彼には不服もあるだろうが、ここは従って貰わないとその後がいけない。カトレアとマリーの他に、オルレアン大公夫人クリスティーヌの身を守ることも、ある意味国を守ることと同義だった。

 王城、正門前。
 リシャールとアンリエッタが到着する頃には、大勢の人集りが出来ていた。
 魔法衛士隊の騎士に混じり、一度は退出した外務卿も、将軍と参謀を引き連れた軍務卿も揃っている。
 マザリーニは、アンリエッタが投げ捨てたドレスの裾を頭に巻いていた。苦労もあっただろうが、いざ開戦となって色々吹っ切れたのだろうと思うことにする。その隣にアーシャがでんと座り込んでおり、こちらを見つけてきゅいいと鳴いた。
「これより、全軍の指揮をわたくしが執ります!
 心ある貴族の中で、領地に立ち寄っても今日明日中にラ・ロシェールへと到着できる者は、郎党を引き連れて参ぜよ!
 王都屋敷に私兵がいるなら今すぐ駆け戻りなさい!
 間に合わぬ者はこのままわたくしに続きなさい!
 別命を受けた者は、為すべきを為しなさい!」
 アンリエッタはリシャールに小さく頷くと、馬車からユニコーンを外させてそれにまたがった。
「進軍!」
 ユニコーンを先頭にマンティコア、ヒポグリフ、グリフォンに乗った騎士達が続く。数騎は空に浮かび上がり、周囲を警戒していた。
「各連隊長は出撃準備の調った小隊から送り出せ!」
「軍務卿閣下、追々集まる部隊をまとめてくださらぬか?」
「心得た!」
「国内に檄を飛ばせ!」
 財務卿、軍務卿らはアンリエッタを見送ると、その場にいた部下達に指示を与えはじめた。
 マザリーニまでが馬に跨って城門から消えていったが、その場の勢いとその後の立ち位置を確保せんがためだけで付き従う貴族達の押さえと考えれば、適任と考えられなくもない。
 うむとデムリらに頷いて、リシャールもアーシャに跨った。
「アーシャ!」
「きゅー!」
 そのまま港に飛ばして『ドラゴン・デュ・テーレ』に降り立つ。
 戦争の噂話は流れているのか、出航準備は既に調っていた。文官やメイドを含む随員は、全てカトレアらの側に残してあるから憂いはない。……あとはまあ、アンソンが無事であれば言い訳は立つだろうか。
「陛下!」
「艦長、出航願います!
 目標、ラ・ロシェール方面!」
「はっ!
 ビュシエール!」
「はっ!
 即時出航! もやい解け!」
 きびきびと動き出した水兵を見やってから、艦長と相対する。
「艦長」
「はっ!」
「セルフィーユ国王兼『トリステイン空海軍司令長官』リシャール・ド・セルフィーユは同盟と信義に基づき、セルフィーユ空海軍に対し全力出撃を命じます」
「……はあ!?」
 ラ・ラメーのみならず、舵を握っていたユルバンや指示を出していたビュシエール副長までもが口をあんぐりと開いている。
「同時にセルフィーユ空海軍司令長官アレクサンドル・フランシス・ド・ラ・ラメー中将を、臨時の防衛艦隊司令官に任じます。
 ……艦長、ラ・ロシェールの艦隊司令部は全滅、戦列艦は半数が落とされたそうです」
「そうで、ありますか……」
「私の長官就任はとにかくこの状況下、指揮官不在は負け戦と同義とのことで、アンリエッタ殿下直々に拝命して参りました。
 私はお飾りですが、もちろん本命は艦長、あなたです。
 アンリエッタ殿下の口より艦長の名が出て、二人で上手く計らえと『命ぜられました』よ」
「了解であります!」
 しっかりと胸を張って敬礼したラ・ラメーに、手短に今後の方針を伝える。
 いくらかの現状を確認して、リシャールは再びアーシャに飛び乗った。
「詳しいことは後ほど。
 後で追いつきます!」
「はっ!」
 次は竜騎士隊だ。
 王都西の駐屯地へと直接乗り付ける。
「誰何!」
「セルフィーユ王国、国王リシャール・ド・セルフィーユ!
 アンリエッタ殿下より命令書をお預かりした!」
「こく……失礼いたしました、陛下!!」
 衛兵を急かし、司令部へと駆け込む。
 竜騎士隊の隊長はアルビオン艦隊の出迎えにラ・ロシェールへ出ていたため、初戦で犠牲になっていた。
「残存する竜騎士の内、伝令、偵察に出ているものを除き、直ちに動ける数は四十騎弱であります」
 リシャールは風竜持ちの騎士を選んで書類束を預けるとセルフィーユに送り出し、残りの半数をアンリエッタの上空直援にまわすよう指示を出した。父の友人で隊付きの教官ルブリが顔を覚えていてくれたので、大きなもめ事には成らずに済んでいる。
 部隊で一番席次の高かった第一竜騎士大隊長デフォルジュ子爵が隊を預かっていたので、アンリエッタから預かった書状を見せ、一度指揮権を受け取ってから改めて彼を隊長代行に任命する。
「陛下、こちらに残す半数は?」
「アンリエッタ殿下がラ・ロシェールに入られた後に交替してください。……この戦、下手を打てばひと月以上の長丁場になるやもしれません。
 また少々遠回りになってもラ・ロシェールと王都の間は街道上空を飛行することで、続々と集う援軍がやはり奇襲を受けることの無いように気を配って下さい。
 ともかくも第一にアンリエッタ殿下の安全、第二に継戦能力の維持。この二つが大方針です。
 運用の詳細は、隊長代行たる貴殿にお任せします」
「了解であります!」
 リシャールは再び、『ドラゴン・デュ・テーレ』を目指した。

 今夜から明日一杯が、この戦の最初の山になるだろう。
 勝てるならそれに越したことはないが、準備を整えて攻めてきた軍と、大慌てでかき集められた軍のどちらが強いかは、考えるまでもない。
 最低でもラ・ロシェールを維持しなければ、ゲルマニアの援軍が間に合ったとて対価の上乗せでトリステインの首が回らなくなってしまう。
 さりとて国力に勝る神聖アルビオンより自力で勝利をもぎ取ることの出来ようはずもなく、この一連の防衛戦の後、対アルビオン戦の後半でゲルマニアからまともな一軍と見なされるだけの戦力が維持出来ていなければやはり首が締まる。
 ……トリステインの首が締まれば当然、セルフィーユの首は自動的に締まるので、リシャールも入れ込まざるを得なかった。

「アーシャ」
「なに?」
「本気で行くからね」
「きゅい!」
 さて、出来ることから始めるかと、リシャールは視界から消えるほど離れていなかった『ドラゴン・デュ・テーレ』の後甲板を目指した。







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